海猫亭日誌

アクセスカウンタ

zoom RSS 死ぬ気まんまん 佐野洋子

<<   作成日時 : 2012/01/31 00:31   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

「職場流産」を読んでいる途中なのですが、あまりの内容の重さに読むのがきつくなって、少し気分を変えようとこの本を手にとりました。
 さすが詩人、1冊すらすらと読み終わりました。職場流産に負けず劣らず内容は軽くないんですけどね。

 これが遺作ということになるのかな。本人のエッセイちお医者さんとの対談。それから関川夏央が書いた追悼文が載っています。
 やっぱり対談て互いの力量が拮抗している方が面白いのかな。

 この本を読む前に西原理恵子とリリーフランキーが同じ大学出身者ということで佐野洋子と対談している本を読んだけれど、こちらの対談の方が数段面白かったです。
「女性の精神と肉体は子供を生んで育てるということに絶対的な祝福を与えられて作られている」
 西原理恵子との対談でも繰り返し語られていたれど、これを読んで連想したのが上橋菜穂子の「刹那」

「働き蜂はメスだけど子供は生まない。一生自分の姉妹の為に働き続けて、そうすることで自分の遺伝子が反映し続けることを手助けする」
 夫も子供も持たない人生を選択した女性のモノローグ。

 人の信念に口を挟む気がないし、それが生物学的な掟と言われちゃうと、それはそうですね、としか言えないのですが、それが絶対の掟と言われてしまうと息苦しいよね。
 年代的なものが、佐野洋子個人の体感からくるものなのかは判らないけれど、年代的なものだとしたら佐野洋子と同世代の不妊症の人は苦しかったでしょうね。
生物学的に絶対の祝福を得られない存在だと見なしている周囲の眼に晒され続けていたということだから。

 もっとも佐野洋子とほぼ同年代で彼女と同じように母との確執を抱え実母とはとうとう和解出来なかった山崎朋子はインタビューで
「生んだからと言って母になれるとは限らない。生まなくたって母にはなれる」
 と語っているので、やっぱり個人の経験や体感から出た言葉なのかしらね。

山崎朋子の場合は実母から得られなかった“母”を夫の母やからゆきさんのおさきさんから存分に注いでもらったようだし。(その経験が、彼女に血の繋がりの有無ではなく「どこにいても自分の為に祈ってくれる人がいる。そう信じられる人が母だ」と書かせたのだでしょうし)

個体から見る自然の摂理と群体から眺める自然の摂理ではまた違う風景が見えるでしょうしね。

故郷喪失者は無意識に個の眼で世の中を眺めてしまうのかもしれない。共同体の中の一部分という眼で世の中を眺める目が弱くなるのかもしれない。
その個の強さが読む人を惹きつける佐野洋子の魅力だったのかな?なんてことを思ったりしました。


死ぬ気まんまん
光文社
佐野 洋子

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 死ぬ気まんまん の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル


テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
死ぬ気まんまん 佐野洋子 海猫亭日誌/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる