海猫亭日誌

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zoom RSS 最後の殿様 徳川義親自伝

<<   作成日時 : 2011/07/03 08:23   >>

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「思い出の昭南博物館」を読みたかったのですが、図書館では見つからなかったので、こちらの方を借りてきました。

館長をされていたから、博物館や館長時代の話について少しは書かれているかな?と思ったのですが書かれていたのは

「強硬に談判して博物館長になり下がった」

「妙なもので、こうなると敵も味方もない。互いに力をあわせ一生懸命に分類整理した。日本人は日本の為に、イギリス人はイギリスの為に働いたのだが、少しの無理もなく目的を達成した」

「この処置の結果、シンガポールでは文化財が破壊と散逸を免れ、一応完全に保存できた。日本は戦争に敗けたが、イギリスからは日本人は文化の破壊者だと言われず、恥だけはかかないですんだわけである」

 くらいでしたね。まあ松平春嶽の末子として生まれ、尾張徳川家の養子となり、十九代目尾張徳川家の当主となった人が一生を思い出して書いた自伝ですから、シンガポール時代の話にあまりページを割いていないのは無理もないかもしれません。

「最後の殿さま」というタイトルは、この本が書かれた当時、この方が生存している最後の「藩主の子」だったからだそうですが、確かにこの方の発想は「殿様」のものですね。

子供の頃から
「大きくなると殿様になるのですから、誰に対しても謙虚で丁寧でないといけません。目下の者にも何かしてもらったら必ず『ありがとう』と礼を言わねばなりません」
 と、「殿様」としての教育を受けて育った人がどういう風に明治以降の世の中を見ていたのか?という殿様の目から見た近代史が面白かったです。

いやあ、まさか落第したという理由があるとはいえ、殿様の子に長屋暮らしをさせるとは。当時の教育方針って凄いな〜。

「落第した」「庶民生活を体験させる」この二つの理由で学習院の先生の家に預けられたのですが、そこが長屋のはずれにある独立家屋。
それだけでも凄いのに殿様が庶民の子供達と交わって遊ぶのを誰も咎めなかってのですね。
富士屋ホテルのご令嬢は近所の子供達とは遊んではいけません、と言われていたのに。時代が違うのか、それとも本当の上流階級は、それもまた勉強、と経験値を増やすことの方を重視するのか。

石蹴りを教えてもらい、一緒に川遊びした長屋の子供達を懐かしく思いながら、「当時の友達とは交わる機会がなく残念だ」と書くところに育ちの良さと明治という時代のおおらかさを感じてしまう。

江戸時代には酒、塩、砂糖いは税金がなく衆議院か可決した大衆消費物質の増税案を公卿大名の華族議員で構成する貴族院が、悪税であると反対して否決したのも意外でした。(このくだりを読んで「蒼のマハラジャ」で王族議員が政府案を次々否定して増税を撤廃させる場面を思い出してしまいましたよ)

結局、大衆消費物質の増税は伊藤博文は貴族院本会議の停止を命じ、天皇を擁して増税の詔勅をくださせたことで可決されたわけですが、これについても

「ここで長州人は政治的困難にあうと天皇を引き合いに出す悪例を作ってしまった。天皇の権威を利用する、この安易な態度が政治家の無責任を生み、やがて大正を経て昭和になると戦争への道につながるのであった」

と、ばっさり切ってますね。この本が書かれた当時(版を見ると昭和48年発行になってますね)、まだ江戸時代の再評価が起こっていないせいもあって

「明治維新史にしても著名な歴史書は多いが、それは薩摩・長州派主体の歴史で、何故そうなったのかについての視点がない。何故そうなのか、この究明は今日もなおざりにされている」

と書かれていますが

「なぜ、公式記録は時に事実と合わないのか。これを究明するのが歴史であり、面白い点である」

「歴史は単なる事実や資料の並列だけでは足りない。原因・結果を冷静に判断してはじめて先人の貴重な体験を学び取ることが出来るのである」

のあたりはおおいに頷けますね。やっぱり教育に関しては明治は江戸の遺産の恩恵をたっぷり受けてますね。

「僕は物心つくまでに母に行儀作法、言葉づかいを厳しく躾けられたが、一年生で落第しても成績がビリでも小言をもらったことはない。人間として生きる作法が身に就けばそれでよく、学校の勉強は自分でするものであった。今日は、それが逆で、文字や数字を覚える教育はやかましいが人間としての作法は放りっぱなしである」

うーむ、大正時代にすでにこういう兆候が出ているのですね。

「日本人は奇妙である。朝鮮を合併しても朝鮮語を学ぼうとせず、朝鮮の歴史伝統を知ろうとせず、研究がまったくない。大東亜戦争で南方を占領しても現地の言葉を学ばずに日本語を押しつける。そのくせ自らは日本語を軽蔑して英語を崇拝する。英語を崇拝するからアジア諸国の言葉を蔑視して学ばないのかもしれない」

の辺りは指摘が痛いとしか言いようがない。

「イギリスはマレーを支配したがマレー語を学び、歴史を調べ、マレー語辞典をちゃんと作っている」

と,書いてあるから余計にそう思いますわ。それにしても日本はいつから国の指導者に

「社会主義であろうと国家主義であろうと国民の幸福をはかる願望があれば主義主張にこだわる必要はない。富士山に登るのに、右から登らなければならない理由はない。、左から登っても頂上を極めればよい。要は日本人であることである」

というおおらかさとしたたかさが無くなったのでしょう?関東大震災の後、象を射殺するか、しないかで揉めた時

「宮内省の官僚は自らの手で処置する勇気がないくせに文句は一人前に言う。責任を恐れて形式にこだわる。事なかれ主義で、当面を糊塗する。その無責任、無能さが、やがて軍部が頭をもたげれば軍人に追従し、下級将校の鼻息さえうかがって、ついに敗戦降伏につながることになる」

と書いているから官僚主義の悪い点は既にこの頃から出ているような気がしますが。

この方は、「君臨すれども統治せず」が天皇の歴史的伝統で、それが日本国本来の姿。明治維新の際に、維新の革新に成功する為に天皇を報じたのはいいが、それ以後も国民の天皇に対する信仰を利用し、権力を天皇い集中させたのは大きな誤りである、と見ていたようですが正しい見方でしょうね。

特例は特例であるから上手くいくのであって、それを常態化してしまったら失敗するでしょう。

「選挙制度ほど民主主義に反し、国民を無視するものはない。現に今日、選挙に莫大な費用がかかる。立候補は金と組織を持つ特権階級でないと出来ない」

というのは面白い指摘だと思います。治安維持法に対する見方も鋭い。

尾張家にある『源氏物語絵巻』の国宝指定を頑として拒んだ理由が

「国宝になって世界的文化遺産である『源氏物語絵巻』を文部省の役人どもに勝手にされては叶わないからである」

と、いう理由はあっぱれ過ぎて拍手してしまう。

時代の変化に伴う大名家の没落は仕方ないにしても大名家の歴史までが散逸し消滅することは寂しいと財団法人を作り、主要なものは法人に寄付すると決めたあたり、やっぱり賢い人なのでしょうね。
おかげで尾張家の遺産は散逸することなく徳川美術館に所有されているのですから。

「結局僕は欲が深かったのだろう。なにもかも失いたくないので、すべてを手放して保存したのである。これらの大名道具は今日徳川美術館で見てもらえる」

というくだりに、愛するものは手放しなさい。それがあなたのものだったら、それらはやがて戻ってきます。戻ってこないのなら、それはあなたのものではありません、という聖書の言葉を思い出しました。

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内 容 ニックネーム/日時
わたしもこの本を読んだところで、おもしろいので買おうかと調べていてこのブログをみつけました。わたしの関心は北海道の木彫り熊産業と殿さまの関係であったのですが、それ以外にも江戸の気配が濃く残る東京の様子など、興味深い本ですね。率直であることが書き手として最良であることを改めて確認しました。ご感想拝読させていただき大変共感するところ多く、どこかで引用させていただくやもしれません。ありがとうございました。
なかむら
2014/09/27 20:19

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