海猫亭日誌

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zoom RSS A3 森達也

<<   作成日時 : 2011/05/30 22:57   >>

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「本当の意味での極悪人の定義は『人を多く殺した人』ではなく『帰属する共同体の規範により強く背いた人』なのだ」

これは実感から来た言葉なのでしょうね。ディレクターとして、仕事でオウムに関わり世間の求める「心優しいふつうの人」であるオウムを撮影した為に、この人は業界から干されてしまった訳ですから。

でも、これもの凄く重要な問題提議なんですよね。
「極悪人が何故大量殺人を犯したのか?」よりも「心優しい普通の人が何故大量殺人を犯したのか?」の謎の方が解かなければならない重要性が高い。

つまり同じ過ちを繰り返さないように解明しておかなければならないことが多いということですもの。

私は「A」と「A2」を読んだ後、映像の方の「A」と「A2」を見る機会があったのですが、その時の感想が
「こいつらご近所づき合いの重要さが解かってないわ」

「なんて依存心の強い奴らだろう」
という身も蓋もないものでして、あの映像を見てもオウムに対する同情心は欠片も出てこなかったのですね。

田舎育ちなもので、ご近所づきあいの面倒くささ(共同体の中で生きるわずらわしさとありがたさ)を肌で知っているもので、この人達コミュニケーション能力ないなあ、とまずそっちの方で苛々し、ついでににじみ出る依存心の強さに
「少しは自分の頭で考えんかい!仮にも宗教やってるのなら『仏にあったら仏を殺し、親に会ったら親を殺し』くらいの気概を持たずに宗教やるな!」
と本筋とは関係のないところで苛々してしまったのでした。

それは、この本を読んでいても同じでして
「人を殺したら罰せられる。でも戦争で大量の人を殺したら褒められる。子供の頃から頭から離れなかった疑問に尊師は答えてくれたんです」
とオウム入信の理由を語り
「麻原はなんと答えたんです」
という問いかけに
「うまく伝えられる自信がない」
と答える信者の姿に、自分の頭で考えてない奴っちゃなーと、またも苛々したのでした。

言葉で伝えられることに限界があるなんて解かってますよ。
限界があるのは解かっていて、伝えきれないことも解かっていて、それでも言葉を使うんです。

自分の頭の中のものを人に伝えるにはそれしか方法がないから。
それしか、というと語弊があるかな。言葉でも絵画でも音楽でもその他のものでも、自分の頭の中のものを一旦他の形に変えて頭から出す以外、私達は自分以外の誰かに何かを伝える術を持たない。
その為の悪戦苦闘をしないで「体験してもらえればわかる」というのは、ただのさぼりだし、意思の放棄だよな、と意地悪く思ってしまう。

山田ズ―二―さんあたりなら
「この人達は表現というものを甘く見ている」
と、言いそうだな。と読みながら思いました。
まあ、山田ズ―二―さんにとっては表現というのは人に伝える・人とつながる為の手段であるので、オウムの人達はそんなことを求めていないので表現に努力を払わないのかもしれませんが。

そうか、だから私は「A」と「A2」でコミュニケーション能力のなさに苛々したのでしょうね。
人とつながることを求めていない人にコミュニケーション能力は必要ありませんものね。

この人達にとってコミニケーションは双方向でなく一方向なのかしら?
「しれもらう」「考えてくれる」
受け取るばかり、得るばかり、与えられるばかりのコミニケーション。

そんな訳で私はオウムの人達への同情は欠片もないのですが(巫病が原因でオウムにはまってしまった人だけは行く場所間違えちゃったな、と思いますが。この人オウムになんて行かないで沖縄に行けば良かったのに。
加門七海さんの書いた本に神主・イタコ・ユタなど神様を始めとするあちらの世界の方々とつきあうことを生業にする人々へのインタビュー集があって、その中に書かれていたユタの人へのインタビューを思い出してしまってんですよね。
ユタの人がユタになる前に苦しめられた症状にこの人も苦しめられたのかなあ、と。
そういう体質の人を受け止め、社会の中で活かす為のシステムと伝統がまだ保たれている地域に行けば、この人にも別の道があったのかもしれないのにね。
つくづく師匠選びって大事ですね。違うと思ったらさっさと方向転換しないと。師匠に盲信してしまった時点でこの人の道は閉ざされてしまったのね)
オウム後の日本の在り方がオウムの類似形みたいになってしまっているのが気になりますね。

「深淵を覗く者は気をつけねばならぬ。おまえが深淵を覗く時、深淵もまたおまえを覗いているのだということを」
ではないですが、魔物を見てしまった者が気がついたら魔物と同じ姿になってしまっている感じ。

いや、まさかここまで麻原と側近の関係がメディアとこの社会との関係に似ているとは思いませんでした。

麻原というマーケットに向かって次々と情報を注ぐメディア。
視聴者や読者の要求に応じて、より受ける情報を、より受ける情報を、と危機情報だけを与え続け社会の危機意識を煽り、結果とし本当に大切な情報は手に入らない状態を作り出してしまっている今のマスコミ。

たしか、小田空さんだったと思うけど
「日本のテレビ局はアフリカの普通の人の日常生活なんて映さない。センセーショナルなアフリカだけを映して日本人の暮らしと同じような当たり前の部分は映さない。留学してはじめて、日本のテレビ局は商業原理主義だと気づいた」
と、いうようなことをエッセイで語っていたなあ。

確かに日本のマスコミにとって一番大事なのは「売れる情報」なんでしょうね。だから、よりセンセーショナルに煽る。

視聴率は部数に直結する情報を得たいが為に、より解かり易い絵になる情報を求める。

今度の震災で、かなりのマスコミ批判が出たということは、まだまだ真っ当な感覚の人が多く残っていると思ってしまっていいのかな。

マスメディアとデモクラシーがファシズム形成における重要な環境因子という仮定は当たっているでしょうね。

以前、旅行記で読んだけれど民主主義が発達した地域では何故か収集したいと思わせる面白いボタンがなくなるそうです。
何故だかわからないけど、これは欲しい!と思う面白いボタンが減ると。
その旅行記を書いた人はボタン収集を趣味にしている人で、今度行く地域は王様や貴族が未だ強い影響力を持っている地域だから、面白いボタンが見つかるかもしれない、と期待してました。

一般受けはしないけれど大事なものというものもやはりあるのでしょうね。

民主主義は衆愚政治につながる。明日のメシの種に不安がある時、希望や不安を煽られても冷静でいられる人・冷静な判断を下せる人は少ない。

しかも場の空気を読むことを、場の空気に従って動くこと、察することが賛美される日本では一度出来あがった空気を突き崩すことは難しいでしょう。

かくして解かなければいけない謎は残る。
何故あの事件は起きたのか?どうして防ぐことは出来なかったのか?
一番重要な謎だけが残る。

警察も自衛隊も裁判所も行政機関も場の空気に影響されるのは同じ。

この件に関して自分達が非難されるのは避けたい。
人間としては当然の感情から起こる不作為は結果としてはより事態を悪くする。

謎や矛盾、未解明な要素を残さない為に、自分達が非難されるような行動を取るよりも、周りの望むまま何もしない方がいい。

本当に今の社会の状態と事件前のオウムの状態がなんてよく似ているのでしょう。

誰も悪意はない。誰も意識はしていない。誰も止められない。

結局、これって第二次世界大戦の時と同じですね。何故、あの過ちは起こったのか一人一人が自分の頭でその答えを出さない限り、過ちは何度も繰り返されると思います。

人のくれる答えに安易に飛びつくようでは、オウムにはまった人を非難出来ないでしょうね。

人の出してくれた答えに自分を委ねるな。その感想だけは最初から最後まで残りました。


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