海猫亭日誌

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zoom RSS ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘  水木悦子、赤塚りえ子、手塚るみ子

<<   作成日時 : 2011/02/15 21:00   >>

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タイトルがともかく秀逸でした。ちょっと考えて、ああ!と思わず手を打ちましたもの。
なるほどゲゲゲでレレレでらららね。

タイトル通り、ゲゲゲ(水木しげる)の娘、レレレ(赤塚不二夫)の娘、ららら(手塚治虫)の娘が、それぞれの父について語った座談会をまとめた本です。

なんとなく娘だから、こうして語り合えることが出来たのかな?という気がします。
いくら同じ立場にあるもの同士でも息子だとこんな風に語り合えることはできなかったんじゃないかな〜、と。
「兄は父のことを『手塚治虫』として見ていましたから」
「父というよりも手塚治虫として見てることがあるんですよ、兄は」
という言葉があって、ああ、やっぱり同性の親だとそうなってしまうのかな、と。異性の親よりも同性の親の方が距離の取り方が難しいのかもしれません。

昔読んだ本での印象的な言葉
「母としても女としても尊敬出来る人が自分の親だった場合、娘は大変。どうにかしてその影響から逃れて自分を確立しなければならない」
一般人の場合でさえそうなのに、神様とは天才とか不世出の才能とか言われる人が自分の親となると、同性の親だと乗り越えなければならないハードルの高さが半端ないのかもしれません。

その点異性の親だともうちょっと距離を置ける感じがします。なんたって娘は残酷ですからね。
もちろん愛はあるんだけど妙に客観的というか愛に溺れていないというか。
「お父ちゃんの漫画には未来がない。手塚漫画には未来がある」
なんて娘以外の誰が水木しげるに言えるというの。手塚治虫は手塚治虫で読者への媚を感じた作品について娘に「つまらない」って言われてしまうし。

きっついけど、これ創作エネルギーへの燃料となったでしょうね。おまえはわかってない!という怒りは、より一層創作意欲をかき立てるだろうし。

娘が語っているので父親としての姿も出ているのだけど
「頭ごなしにこれをしちゃだめ、あれをしちゃだめ、と言うとそこで子供の気持ちは止まってしまう。とりあえず好きなように子供が納得するまでやらせる。もし迷っていたら拾ってあげる。それが親の役目だ」
という言葉は好きだなあ。実践と教育論とは違うのだけど、そういう考えを持っている親に育てられた子供は幸せだと思います。

あと男女問わず、愛があっても親にはなれない種類の人っているんだなあ、ということを
「『赤塚不二夫』ってもう公共物だから」
という言葉で思ったりして。人としてはもの凄く魅力的だし、子供に対する愛もあるんだけど親にはなれない人。

愛を持ってくれているのはわかるんだけど、自分のことは守ってくれない人。それでも愛はあるから
「私の使命はいかに赤塚不二夫を立体的に見てもらうか」
という言葉が出てくるんでしょうけど。

印象深かったのは三人が三人とも自分の父親は一目会っただけで相手がどんな人間だか分かった、と言っていること。それだけ観察眼が凄いんでしょうね。だから、あれだけ名作と言われる作品を残せたのでしょうけど。

優秀な経営者と優秀な漫画家、どちらの方が人に対する観察眼は高いかな?と思いましたが、漫画家の場合、相手がどんな人間なのかを把握していても騙されてしまうことがあるから実用的なのは経営者かもしれないですね。

漫画家の場合、人間そのものに対する興味の方が勝ってしまうから実用的な面で足元をすくわれてしまうのかなあ?

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水木悦子 赤塚りえ子 文藝春秋発行年月:2010年02月 予約締切日:2010年02月03日 ページ


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