海猫亭日誌

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zoom RSS 1945 年のクリスマス 日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝 ベアテ・シロタ・ ゴードン

<<   作成日時 : 2010/02/28 00:50   >>

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誰との対談だったのか忘れてしまったのですが、パタリロの作者が漫画家として成功した自分のことを「努力はした。でも運が良かった」と語っていたのです。

努力はするのが当たり前。でも努力した人間がすべて成功するわけじゃない。努力をして、そのうえ運のいい人間だけが漫画家として生き残れる、といった趣旨だったのですが、この本を読んで、あの言葉って日本について語っているみたいだな、と思いました。

「努力はした。でも運が良かった」

努力はしましたよ、もの凄く。一面の焼け野原から奇跡の復興ですもの。これを努力の賜物と言わないで一体なんと言うんですか?

でも努力したから国が繁栄するかというと、そうとばかりは言えない気もします。バルカン半島にアフリカ諸国。世界には七転び八起きと言いたくなるような歴史を持つ国がぞろぞろですもの。

海に囲まれた島国。他国との交流が出来ない程には遠くなく、他国が容易く攻め入ることが出来るほどには近くない、という地政学上の運の良さはもちろんのことですが、史上初めて外国との戦争に負けた後(白村江の戦いがあるから史上初めてと言い切ってしまうのは違うかもしれませんが)、
今までと違う日本を作ることを余儀なくされた時に、憲法草案作成スタッフの中に、

「日本の女性が幸せになるのは何が一番大事だろう?」

と考えてくれら女性がいたことた運が良かったとしか言いようがありません。

憲法草案作成スタッフの中に知日家、親日家が多かったのも運が良かったと言えるかもしれないけれど、他国を占領軍として統治する為には、その国に対する知識を持つ人達をスタッフとして招き入れて積極的にその意見を取り入れることが無駄な摩擦を生まない賢いやり方なので、ある意味当然の帰結だし
(もっとも60年後のイラク占領では、これがまったく出来ていないことを考えるとやっぱり運が良かったと思った方がいいのかなあ。
それにしてもアメリカの統治能力って明らかに劣化してますよね。この時代には傲慢ではあったけれど勝者の余裕があったうえに、大戦終戦直後ということで冷静に現実を見る力もあったということかしら?)、

GHQ内部の保守派とリベラル派の対立は有名な話なので、

「日本に人権と民主主義を根付かせることの出来る憲法を作るんだ!」

という作成スタッフの燃え方は、自国だと保守派の壁に阻まれて成立できない理想の憲法が今の国なら作れる。新しい憲法によって日本は生まれ変わるんだ、というリベラル派の興奮もあったような気がするので(
だってアメリカでは未だ男女は「法の下に平等」ではないし、フランスだって「法の下の平等」が成立するのは1946年で敗戦国の日本とあまり変わらないですよね)、多少割り引けるけど、

憲法草案作成スタッフの中に、戦前の古き良き日本を心の原風景に持ち(当時外国人教師にピアノを習わせることの出来た人達はどういう階級だったのかを考えれば、そりゃ美しい日本でしょう)、

優しいお手伝いさん、親切な父の友人、一緒に遊んだ腕白やおてんばという人達を頭に浮かべて、

日本の女性の味方は私しかいない!

と女性や子供の権利を憲法に入れる為に上司と喧々囂々やりあったベアテシロタがいたことは天の配剤としか言いようがないですもの。

あるべき時にあるべき人を神様が配置してくれたという感じ。彼女がいなかったら日本の人権条項はもっと薄いものになっていたでしょうね。

だって憲法制定会議で個々の草案を審議した時に日本人側から

「次の人権に関する条項は日本人には向かない条項が多々ある。日本には女性が男性と同じ権利を持つ土壌はない。日本女性には適さない条文が目立つ」

と異を唱える言葉が出ちゃうんですから。この会議に彼女が通訳として出席していなかったら、アメリカ側から

「この条項は日本で育って日本をよく知っているミスシロタが日本女性の立場や気持ちを考えながら一心不乱に書いたものです。悪いことが書かれているはずはありません」

という言葉は返ってこなかたったでしょうし。日本側の佐藤達夫や白州次郎が

「シロタさんが?それじゃあおっしゃる通りにしましょう」

 とあっさり折れることもなかったでししょうね。たぶん佐藤達夫や白州次郎にとっては女性や子供の権利についての問題なんて我を張る程の問題ではなかったのでしょう。

彼らにとっては天皇制の維持など、どんなことをしてもGHQには譲るわけにはいかない事柄が他にあるし、交渉のテクニックとしてそう大事なことではないことは相手側に譲ってもいいか,かしらねえ。


ベアテさんが日本に対して好意的な通訳だということは日本側に知られていたのだから、

日本に好意的な通訳が書いた草案なら、ここで譲ったとしても後で困るような大きな問題になることはないだろう、

ぐらいの気持ちだったのかもと思ったのかもしれませんね。

これは日本女性にとっては本当にラッキーなことで、そんなことは有り得ないけれど、もしも彼女の代わりに日本人女性が出席していたとしたら、この条項はあっさりつぶされていたでしょうね。

「日本に好意的な外国人女性が書いた草案」だから通ったのですもの。明治以降、「政治の話に女や子供が口を出すな」が習い性になっていた日本の男性が自分より目下と認識しているものの言葉を受け入れるとは思えませんもの。

確かにベアテさんの言うとおり、日本人は本質的に封建的民族かもしれません。本心は嫌だと思っていても命令には従うことを美徳とする傾向になる。

「日本民族の付和雷同的性格、自分から決して意見を言い出そうとしない引っ込み思案的な性格、しかも過激なリーダーに魅力を感じる英雄願望的な一面が昭和の誤った歴史を生み出した根源的なもの」という認識は、さすが日本で育っただけあってよく見ているな〜という気がします。

日本と日本人を愛しているけれど、その欠点からはけっして目をそらさない。

「日本の一人ひとりは善良でいい人なのに職務につくと別人に豹変してしまう。どうしてあんな風に同じ人間で変われるんだろうね」

という彼女の母がよく言っていたという言葉は彼女自身の言葉であるかもしれません。

戦争中、職を解かれ、軽井沢への移住を余儀なくされた彼女の両親は「アメリカの大学に留学中の娘を持つオーストラリア人」という理由で毎日憲兵の訪問を受けます。

憲兵の目を怖れる地元の住民達は自分がスパイだと疑われることがないように外国人との交わりを避けようとする為、満足に食糧も手に入れられない日々。

そんな時、大事な鶏が木の上に逃げれば、届かない長さの棒でもなんとか追い落として捕まえようと必死になるのはよく分かるし、やって来た憲兵に

「なにもないのにやってくるなら、鶏を追うのを手伝ってください」

 と嫌味を兼ねて言いたくなるのもよく分かる。その言葉に憲兵が一瞬ムッとしながらも、どういう状況にあるのかを見て取って、長い棹を持ってきて鶏を追い落としてくれた、というのが、なんとなく可笑しくて笑っちゃいました。

本当に一人一人はいい人なのに、国や政治が絡むとどうしておかしくなってしまうのか。彼女が後年ジャパンソサエティやアジアソサエティで日本やアジアの文化をアメリカで広めようとした理由が分かる気がします。

優れた芸術には国境や優劣はないんですよね。こんな凄いものがあるんだ!という感動や興奮は、それを生み出した人々への尊敬や共感を生みます。それが平和を守るということにも繋がるのでしょうね。

前半の日本での生活や憲法成立までの日々も面白かったけれど、後半のジャパンソサエティやアジアソサエティでの活動とその中で出会った芸術家達の逸話も素敵(棟方志功の逸話なんて本当に彼への愛があふれてますものね)
前半後半どちらをとっても興味深い一冊でした。


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