海猫亭日誌

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zoom RSS 黒山もこもこ抜けたら荒野 水無田気流

<<   作成日時 : 2009/02/05 23:37   >>

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副題が「デフレ世代の憂鬱と希望」となっていますね。

郊外の新興住宅地で生まれ、努力すれば報われるという教育を受けたにもかかわらず、常にその教えに裏切られ続けてきた世代の著者によって書かれた世評論という感じですね。

私は郊外の新興住宅地生まれではないので(流入地域ではなく流出地域で育ったので)著者の言葉を、ふーんと読み流す部分と、そうだよね!と共感する部分があって、なかなか面白い一冊でした。


「少子化について政府の対策への意欲表明は立派だが、日本の児童手当は先進国でも最低水準で、児童手当支給要件に両親の所得制限があるのは先進国では日本だけ」

「まず子どもを預ける場を確保しなければ働けないのに、今働いていないから預けられないという矛盾」

は、随分と昔から女の人の間では有名な矛盾でしたね。子どもを産みたかったら仕事をやめるな!と、よく言ってましたもの。

子どもを産んでから仕事を探そうとすると、まず保育園は見つけられない。(保育園は現在仕事を持っているお母さんに対応するのが精一杯で求職中の人の分まで対応しきれない)だから二人目が欲しいと思ったら産めるのは仕事を持っている人。

よほど旦那の稼ぎが良くて育児に協力的じゃない限り、時間的にも経済的にも専業主婦が子どもを産むのは厳しい。こういうのって女の人は先に子どもを産んでいる人から耳にしているのですよね。

「基本的に行政は家族というインフラに自分で出来ることはやって欲しいし、できるだけ予算は割きたくないというのが本音なのだろう」
というのは当たっているでしょうね。

「いわゆる『日本型福祉社会(家族内での相互扶助を大前提とした福祉社会)は、1個の独立した人格としての個人(とりわけ女性)の社会活動参加に否定的な傾向がある。育児や介護の担い手について『家族に期待する』というのは実質的に女性の無償労働に期待するということである」

少子化や介護地獄の原因を見事に言い表してますね。

「日本型福祉社会の問題点とは端的に言って旧来の(高度成長期に成立した)『普通の家族』を前提としていることに集約される。現実の姿と齟齬をきたした『普通の家族観』『普通の生活観』は政策や法制度として具体化されると人々に日常生活に多大な負担を強いることとなる」

 政策や法制度を作っているのが一番時代に取り残されている人達ですものね。その人達に理解出来る範囲で政策や制度を作れば、そりゃ実情に合わないものが出来ても無理ないでしょう。

 国民が余暇を楽しみ旅行へ行きやすくする為に祝日を決まった日から3連休になるように月曜日に移動させたことがありましたよね。うちの母は

「ありゃ、役人が馬鹿だわ。世の中の人間は全て土日休みだと思っているのよ。親が平日休みの子は前だったら祝日と親の休みが重なったら一緒に出かけることが出来たのに、それが出来にくくなっちゃった。土日休みの人だって、3連休が沢山あったらかえって旅行になんか行かないよ。休み増えたって給料増える訳じゃないんだから。
たまの3連休だから『じゃあ、せっかくだから行こうか』となるんじゃない。3連休が沢山あったら『わざわざ今行かなくてもいいや。今回は節約しよう』となるに決まってるじゃない。役人てのは現実を知らないから」

と、ぼろくそに言ってました。まあ、自分達の周りの人達だけみてカレンダー作ったのでしょうねえ、お役所だから、とその時は思いましたが。

また、この作者詩人だけあって、小泉さんの「痛みに耐えろ」、安倍さんの「美しい国」、教育における「生きる力」「たくましい育ち」などの言葉を、受け取る者によって幾通りにも都合よく解釈されてしまいそうな美しくも空虚な言葉とばっさり切ってますね。

確かにそんなことより

「具体的に社会保障費にはいくら必要で、その為の予算はどのように確保すべきものなのか?」

「破綻しかけている年金制度や赤字国債の問題をどのように改善すべきなのか?」

「どのような公共事業をどの程度減らし、予算をどの程度削減し、それをどのような政策にまわすべきなのか?」

と、いうことを私も具体的に聞きたいです。

「メディアから垂れ流されるのは政策論争ではなく言葉尻を捕まえての中傷合戦ばかり。一方で社会保障や雇用環境の不均衡などは不問にされたまま。庶民が政治や政治の言葉にうんざりして何の期待ももたなくなるよう、あえてそうしているのではないか、とうがった見方をしてみたくなる」

と、いうのは本当に同感です。

少子化対策と声高に言う割りに日本の社会保障費のうち児童福祉関連予算はたった5%

女性が子どもを1人産む機会費用(本来得られた筈の収入が離職等によって得られなくなった損失分)は出生率が回復しているフランスでは約170万程度だが、日本では9000万以上。

う〜ん、こうやって数字で見ると少子化の理由って判り易くなりますね。確かに「日本では子どもを持つことについての女性の機会費用が高すぎる」のですね。

「ヨーロッパのように高負担高福祉を実現することが現実的でない以上、せめてこの社会保障費配分のアンバランスや女性を中心とした不公正な雇用環境是正、企業福祉や家族内の相互扶助に頼りきった福祉制度の見直しだけでも早急に取り組めないものか」

というのは的を得すぎて返す言葉がないのですが、現実にそうなっていないのは、やっぱりそうなっていることで得している層がいるからでしょうね。

この本他にも幾つか面白い疑問があがっています。

「高度成長期最終世代は、その多くが『普通の生活』をおくらなければ『幸福』になれないと育った。だから不幸な時はその『普通』を渇望する。そして、この『普通』がほころびを見せている今日、少子化や晩婚化、非婚化、非正規雇用等『普通でない=好ましくない』事態に対し、当事者へのパッシングが強化されている」

「まず『普通』を望むのか。それとも『幸福』を望むのか?それによって指針が変わってくる」

はい、それによって政策の指針はおおいに変わるでしょうが、道は厳しいですよね。この国は『普通でない』幸福については冷たいですから。その分『普通』の『幸福』については実情とあわなくても手厚くサポートとしようとしてますけれど。

やっぱりこれって過去の成功体験が現在の失敗に繋がっているという奴なのでしょうか?

「高度成長時代には「協調性」があり「右向け右」が即座に出来るような人材が、会社の為に一生懸命働ければ、お隣と同じように両親の時代とは比べ物にならない消費財に囲まれた幸福を享受出来た。」

これが過去の成功ですよね。で、これがどう変わったのかというと

「前提となる経済社会構造の変化に応じ、高度消費社会、成熟飽和経済において重要とされるのは、より生産性の高い高付加価値商品を作ることが可能な人。」

 と、いうのが現状で

「『右向け右』人材をやめ、『高付加価値商品』人材を作るべし!と個性の尊重が叫ばれるようになったけれど、社会の仕組みは高度経済成長期の『普通』に合わせたまま。」

 と、いうのが現在の失敗でしょうね。だから

「私達は生まれてきた以上、必ず何らかの形で社会の一員としての座を占めねばならない。この社会を通底するシステムは生まれてきた人間を否応なく成員に組み込んでいく。そこに選択の余地はない」

 と、いう著者の嘆きが出るのでしょう。

「政策は個人が自力で変えられることの限界を正しく理解したうえで策定されるべきである。だか、それとは逆の現象ばかりが目につく」

「私が言いたいのは問題を全て社会の側に帰するということではない。要はまともに努力する人間がまともに報われるように政労使は歩み寄るべきだ」

「『下流論』で論じられるところの『教育・家庭環境格差がやる気の格差に反映する』との論旨は否定しない。だが問題はあまりにも当時者である『若者にやる気のなさ・上昇志向の欠落』に焦点が絞られ過ぎているように見える点である。上昇志向を保持する為には、当人の気質や能力だけではなく、その人の置かれた環境等の諸条件の整備も必要である」

 どの言葉もあまりにまっとう過ぎて拍手するしかないです。

「願ったところで叶わぬ希望など、最初から持たない方が時間や経費それに消費カロリー等々の節約になるからである。それなのになぜ未だに世界が右肩上がりで出来上がっているように振る舞わなければならないのか」

 新潟の少女監禁事件関係の本を読んだ時に印象に残っている言葉があります。鎖に繋がれた象は逃げようと努力しても無駄だと悟ると鎖を外されても逃げようとしなくなる。
 9年間の間逃げるチャンスはなかったのか?という人は間違っている。少女は逃げなかったのではなく逃げられなかったのだ、と。

 人にとって一番苦しいのは過酷な状況に追いやられている時ではなく、どんな努力しても無駄なのだ、と思った時だそうです。
 たとえ微かでも努力が報われたと感じられる間は人は頑張れる。でも努力が裏切られ続けてしまうと次の努力をする気力も奪われてしまうのですよね。

 昭和30年代ブームが起こったのも、あの時代が「努力すれば報われる」時代だからだったのかなあ。

「深い絶望を抱えた人の数が相対的に増えれば、それだけその社会は不安と無秩序を抱え込むことになる」

 ちょうどこれを読んだ頃、派遣切りが話題になり、この言葉ははっきりと目に見えるようになりましたね。

「現実の社会では高い社会的地位や、それに付随した高所得や威信などの『勝ちの高い』社会資源は限られている。だからいわゆるエリート層以外に『いかに絶望せずにそれらを諦めさせるか』は社会の秩序を保つ為の必須事項である」

 と、書かれているのは、この本が出た頃は、勝ち組負け組みが話題になり無責任にマスコミが勝ち組をもてはやす風潮にあったからでしょうね。

「成功者の意見よりも失敗者の意見の法が汎用性もあり、助言としてはよほど役に立つと思う。何故なら成功には本人の努力はもとより幸運な偶然の重なり合いが不可欠だが、失敗の方はある程度その原因経過が、客観的に分析可能だからだ」

「物事は取り掛かる前に合理的分析が不可欠だが、それだけでは成功出来ないという矛盾を包摂している。成功の確率を上げることと実際に成功することの間には巨大な溝が構わっているが社会はそれを通常『不可視(なかったこと)』する。この力がメディア時代ますます強くなっているように思える。

 漫画家の魔夜峰央さんが面白い事を言ってました。「努力はしました。でも運が良かった」
 どうして長年の間漫画家を続けられてきたと思いますか?についての答えだったと思います。努力をするのは当たり前で、でも努力だけでは生き残ってこれなかった。そういうことなのでしょう。

 
「通常の『ゲーム』とは異なり、社会は時間の経過とともに、そのルールを変更してしまう『生きたゲーム』なのである。」

 と、いう中で生き残るには努力だけではきついでしょうね。

「結婚しても子どもを持たない(持てない、持ちたくない)という気運の高まりの根底にあるのは若年層の抱える根本的な「将来への不安」ではないか。資本は国境を越えて高速で移動する。人件費を抑えるという戦略のもと、企業がより低賃金な人手を求めて工場を移転するといったことは日常茶飯事になった。」

「『強い』個人が強固な責任感を持って人生を歩む図は美しいと思う。だが、世の超勢は自分一人の力だけで回っているわけれもなければその時に持てる力を振り絞って考えたものでも「見込み違い」となることはある。
なぜ『フリーター問題』は当事者である若者の個人的な問題にばかり論点が絞られるのか。新卒一斉採用以外は正社員への途が、ほぼ閉ざされている雇用慣行や低賃金、短期間の不安定な就労者を使って利益を上げている企業側の問題は、なぜそれほど非難されないのか。
いい加減、羊(立場の弱い側)の自己責任ばかり追求するその姿勢を改革して欲しい、と思うのである。労働問題は狼ならに羊飼い(雇用者側)と羊の双方が関わる問題なのだから。」

こういう疑問に力のある人達はもっと早く答えるべきだったでしょうね。ぼやのうちに手を打っておけば、今になって慌てずにすんだでしょうに。

ぼやを放っておいて大火災になってから慌てているというのが現状ですものね。先を読んで警告している本ってきっと沢山あったのでしょうねえ。

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